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近視矯正手術
Q&A


RK・PRKニュース No13 1998年 11月

       参宮橋アイクリニック創立15周年のご挨拶


 晩秋の候、皆様にはいよいよご清栄の段、お慶び申し上げます。
 さて当院は1983年に屈折矯正手術の専門医療機関として創立されました。屈折矯正手術は角膜表面をコンタクトレンズ状に形成させて近視、乱視、遠視状態を除去、あるいは軽減させる眼科手術です。

 当院創立に当たっては、開設者として、また、近視、乱視を持っていた患者代表として手術の安全性と、その効果の確認に最大の注意を払いました。
 まず私自身及び、家族10人が施術を体験しました。当時は身を挺して証明せねば眼科医に受け入れられなかった風潮が存在していました。1年の経過観察後、眼科専門医で屈折矯正手術をフィヨドロフ先生に学んだ、若山久先生に一般の患者さんの施術をお願いしました。
 この度、お陰様で当院は近視手術のパイオニア医療機関として15周年を迎えました。近視手術症例は1万1千余となりましたが、幸い失明等の重篤な例は皆無です。
 眼科専門医を対象にした当院主催の近視手術勉強会にも延べ200名以上の先生方が参加され、近視手術が我国においても定着しつつある現状に感慨無量です。
 視力向上を通じ職業選択の幅を広げる為、近視手術一路15年を迎えました当院に、益々のご指導とご声援をお願い申し上げます。
参宮橋アイクリニック 開設者院長
  奥山公道
 15周年を迎えて
 
 参宮橋アイクリニックを開設して15年になりました。長く、険しく、誰も足を踏み入れたことのない道を歩き続けてきたような日々でしたが、手術の効果が確実に現われ、患者さんと喜びを共有できる医者冥利とも言える貴重な日々でもありました。
 私と近視手術との出会いは、衝撃的でした。手術であきらめていた近視が治る・・・?
 この出会いが、その後の私の人生を決定付けたのです。  

私は日本人医師として最初に近視手術を受けました。


1973年、私が旧ソ連の第二モスクワ医科大学に留学していた時のことです。実は、医科大学のメガネをかけていたモスクワの友人が、夏休みが明けて、新学期になるとメガネをかけていない。そんな友人が何人もいたので、「どうしたの?」と聞くと 「フイヨードロフ先生を知らないのかい?」と…聞き返されました。
 そこで博士らが開発したRK手術を知ったのです。私は、小学校のときから、ヒドイ近視で度の強いメガネをかけていました。そのせいか、よくいじめられたものです。モスクワ留学も、厚い瓶底メガネと一緒でした。何とか、この不便でうっとうしいメガネから、解放されたいものだ・・・と考えていましたからこのRK手術の存在を知ったときは、視界が広がるように希望がふくらみました。
 80年に同大学を卒業して帰国後も、内科医師として勤務するかたわら、この画期的な近視矯正手術のことが頭から離れませんでした。そこで、このRK手術に関する米ソの医学文献を取り寄せ、独自に研究を進めました。そして、その医学的データから安全性を確信したのです。
  1983年4月、決意を胸に秘めモスクワに飛びました。
 そこでモスクワ顆微手術眼科研究所を訪ね、フイヨードロフ博士に希望を述べたのです。博士はがっしりした堂々たる体格でニッコリ私の話にうなづいておられました。

0.03の視力が0.5に回復・・・・人生が変わった!

RK手術は、博士自らの執刀で行っていただきました。
 術中、いささか不安に思っていた痛みも全くなく、術前に0.03という強度近視が視力0.5に回復したのです!
 こうして、幼児期から付き合ってきた 「ビール瓶の底」 のような眼鏡からも解放されました。メガネをかけているハンディキャップ、煩わしさは、かけていない人には、わからないでしょう。メ方ネのない生活を始めてみて、広い視界の清々さに感動しました。
 また医療を志したものにとって、これほどまでに患者に幸福をもたらす医療技術があることに、深く心を動かされたのです。

日本で初の眼科近視手術「参宮橋アイクリニック」開設  

当時、私は内科医だったので、同僚で日本医科大学眼科の若山久先生にモスクワのフイヨードロフ研究所に同行を願って、博士のRK手術を習得していただきました。
 帰国後、「新しい医療を患者さんに施す場合、まず自身と家族から行い安全と効果を確認せよ」という奥山家の 「家訓」 にもとづいて、私の家族、若山先生の奥様、親しい友人など13人にRK手術をして経過を見ました。こうして、代々木の森近くに、参宮橋アイクリニックを開設したのです。よく「五反田にあるのに、どうして参宮橋なのですか?」と聞かれます。開設当時の名称を大切にしたいので、このクリニック名を今も用いているのです。日本で最初の眼科近視手術の専門クリニックとして、マスコミなどにも大変な反響を呼びました。

 すでに恩師のフイヨードロフ博士は、この時点で1万5千例ものRK手術実績をあげていました。そして、合併症は、感染症が2件、角膜を切りすぎて遠視になった例が1件のみです。だから私の親族の体験に加えて、安全性には十二分の自身を持っていました。この時、日本では群馬県桐生市の臨床眼科研究所で、百瀬皓先生がRK手術を1981年より実施しているだけでした。百瀬先生はアメリカでフイヨードロフ式RKを学ばれた方です。
 参宮橋アイクリニックは、日本で最初の眼科専門医によるクリニックとなります。このパイオニアとしての仕事に対して、一部眼科医は 「日本の近視手術は、眼科医でない連中が始めた」と広言しています。これは完全な間違いです。眼科専門医、百瀬先生や当クリニック初代院長若山先生の名誉を傷つけるものです。

  「君の将来は保証できない」眼科医会長の脅し
 
 その後、初代院長の若山先生は、実家の眼科医院を継ぐことになり、2代目院長として東海大学、眼科の佐藤薫先生をお招きしました。当然、佐藤先生もフイヨードロフ研究所で、RK手術の実技を習得していただきました。1986年夏、一つの事件が起こりました。院長の佐藤先生は、品川のホテルのロビーに、東京眼科医会のS会長ほか2名の眼科医に、呼び出され「君が、このままRK手術を続けるなら、眼科専門医の将来における資格保証ができない。」と告げられたのです。佐藤先生は、眼科医会の専門医制度の講習を受けている途中だったのです。つまり面と向かって 「RK手術を止めろ、さもないと眼科専門医の講習を受けさせない。」 と脅かされたのです。佐藤先生はクリニックを去りました。胸中はいかばかりであったでしょう。
 私は、途方に暮れていました。私がフイヨードロフ博士の近視手術を受けたのは、1人の患者としてです。当初私は内科医として勤務しており、自分がRK手術を行う気は毛頭ありませんでした。日本で最初の近視手術専門医療機関の灯は、消えようとしていました。

眼科医の研修、近視手術の道を歩き始める

 私は、自分で近視手術を行うしか道はないと決心しました。
 そのためには、眼科医として研修をしなければなりません。研修期間中は、ロサンゼルス在住のRK手術の大家、山下剛先生にリリーフをお願いしました。
 こうして、無事眼科医の研修を終えました。理不尽、非道な日本の眼科医会からの圧力は逆に私に近視手術への大きな一歩を踏み出させるきっかけとなったのです。あの脅しの事件が無ければ私は、一内科医師として近視手術とは無関係の人生を送っていたかもしれません。
 まさに災い転じて、福となす・・・今は、皮肉ではなく、この道に進ませてくれた眼科医会の長老の方々に感謝しているくらいです。
 「手術で近視が治る!」 この事実は、日本でもセンセーションだったようです。テレビ、新聞、雑誌などの取材も相次ぎました。私は近視手術の啓蒙として、引き受けましたが、クリニックの宣伝や、自己辟示的な要素は極力ひかえてきました。

「強度近視に弱い」「予測が困難」RK手術の限界

 ダイヤモンドメスで角膜に放射線状に切開を入れるRK手術は、確かに画期的な手術でした。ただ、中程度の近視までは、すばらしい効果を上げるのですが、強度近視の回復には、物足りないものがありました。例えば0.1以下の強い近視の場合、メガネが必要になります。
 RK手術をしてもメガネが必要な場合があると告げたときの患者さんのガッカリした表情を見るにつけ「何とか強度近視にも適応できる術式がないものか」と思いをめぐらしていました。また、回復視力の予測が確実に絞り込めないのも不満でした。だから患者さんには、「今ある視力の約10倍位でしょう。」 と説明するにとどめていました。
 「狙った視力が、ピタリと出せたらどんなに素晴しいだろう」と思っていました。

レーザーで角膜成型、各種PRK手術の登場

 ところが、私の恩師フイヨードロフ博士がこの願いを解決したのです。それは、エキシマ・レーザーを利用して角膜表面を分子レベルで「蒸発」させ、角膜の屈折を変えるという斬新な方法でした。PRK手術の登場です。
 早速、私もフイヨードロフ博士の開発した最新式のレーザー装置を導入して、PRK手術の臨床治験を重ねました。治験はフイヨードロフ・システム導入前にS社、N社、L社のレ」ザー機槻を対照群に実施しました。
 フイヨードロフ・システムのレーザー装置はいかなる近視でも矯正できる点において格段に優れていました。RK手術では、あきらめるしかなかった最強度近視の患者さんでも望んだ視力が得られたのです。また、レーザー照射は、あらかじめコンピューターにプログラミングされており、30秒ほどで、手術は完了することにも感動しました。
 このレーザーによるPRK手術は、21世紀の医療技術として、極めて際立っているといえます。このPRK手術に世界のレーザー機器メーカーが殺到して、さまざまなPRK機器が登場しました。
 レーザー光線の往復運動でスキャン (走査) して削ったり、絞りを開閉したりと、様々です。これらの工夫には、一長一短があります。だから、PRK手術といっても多種多様であることを十二分に理解していただきたいのです。
 日本の大学や医療機関などで、PRKの臨床治験が行われました。そこでは、他のメーカーの機種が使われています。S社、X社、N社、M社の四種類です。これらはPRK手術の前に、上皮にカンナをかけて弁を形成した後に、レーザーを照射するレーシックと言われる方法、また、あらかじめレーザーで上皮をはがす方法等、いずれにしてもレーザーを照射する前に何らかの措置を要します。PRKと言っても、方式、機械にかなり差があります。レーシックでは刃こぼれによる鉄粉がテレビで放映され問題となっていました。術者よりも術式そのものに問題がありそうです。

他をはるかに引き離す奥山式スーパーPRK誕生

 フイヨードロフ式の最新機器は上皮削除等で、一切角膜に触れることなく、涙など水分の影響も確実にクリアしたPRKです。特に形態学的に術中に照射数を微調整できる点は、すばらしい性能ノウハウだと思います。また、PRKで問題視された曇り (ヘイズ) もクリアしました。私は、これを奥山式スーパーPRKと名付けました。
 その精度と安全性において、秀でていることもご理解ください。奥山式と命名したのは、不遜のようですが、理由があります。15年前に私共のクリニックがRK手術を本邦へ導入しました。我国の眼科医会が、RK手術を無視したり、普及を妨害したりしている間に即席眼科屈折矯正医が、次々に出現してRK手術をビジネスと捉え無理な手術を実施し、被害者といわれる人々が出ました。RK手術を誤って実施した為で、RK手術自体の責任ではなかったのです。
 奥山式ブランドの命名により、歴史と実績、そして品質の保持を目標にします。
 近視矯正手術の歴史は、RK手術がダイヤモンド石メスを使い、レーシックは、鉄製カンナを使い、奥山式スーパーPRKは、光レーザーのみを使用する方法と考えられます。また従来の奥山式PRK手術では近視のみに対応してきましたが、1回のレーザー照射で近視と乱視を同時に矯正する方法も完成しました。
 目に一切手を触れないレーザー照射は、手術という行為を超越しました。21世紀は近視で不自由な人々にとって、光の時代となるでしょう。


わたしの手術体験


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 夢じゃないんだこれは!
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 8月のSP手術が終わったときは 「やっとここまでこれたのか」と感慨深いものがありました。5回もの痛みに耐えたのですから主人も本当によく頑張ってくれたと思います。

 思えば2年前の秋、何の知識もない私たちが偶然手にした1冊の本がきっかけとなり、先生に出会って「良くここまでやってこれたな」と不思議な感じさえします。ここにいたるまでには、いろいろな人々が心配してくれました。主人のことを本当に心配する人ほどTVや新聞から得たいろいろな情報や知識を教えてくれました。が、反対意見をいくら聞いても少しも不安に陥らなかったのは初診時からのインフォームドコンセントで得た先生に対する大きな信頼があったからだと思います。
 正直申しますと、手術を決断したときの私たちはまったく未知なるものへの挑戦ゆえ不安でいっぱいでした。知人にやった人もいなければ見たことも聞いたこともない手術、おまけに目に切りこみを入れるなんて・・・でも手術すると決断したのは「私を信じてやってみればきっと喜んでもらえる結果が出せると思います。」とはっきりとおっしゃった言葉でした。私たちの顔を見ながらひとつひとつ丁寧に説明して下さる先生の目に偽りはないと確信したからです。先生と話せば話すほどその確信は大きくなり揺るがないものになつて行きました。

 こんなに手間のかかる私共を見捨てずにここまで導いて下さった先生始めスタッフの皆様には感謝してやみません。
 海で山で主人は今年の夏もメガネのない爽快感を満喫しました。本人ですら忘れてしまっているのですから仕方の無い話しですが、子供たちは主人がメガネをかけている姿をすっかり忘れてしまったらしく、SP後久々にかけたサングラスを「かけてはダメ」と取られてしまいました。時々、社員証や免許など数年前の写真を見ると信じられないようなメガネ姿に改めてピックリしてしまいます。
 
 毎日少しずつではありますがメガネのないことが見えることがこんなに幸せに感じるなんて・・・2年たった今でさえ時々見えるはずのない看板が見えたり、小さな落し物を人より先に見つけたりすると「夢じゃないんだこれは!」と思うことがあるそうです。そんなときは見える幸せをジワーと実感して1人ニヤニヤ不気味に笑ってしまうのだそうです。会社の人々までが術後の主人は性格まで明るくなり行動的になったと言っています。
 今は先生の進めておられる仕事が一人でも多くの人に、正しく理解してもらえるように生きた証人として周りの人達に働きかけて行こうと思っています。徹力ながら頑張ります。

芳陵恵子

(注)芳陵恵子さんのお手紙は、97年の12号の続編です。
 ご主人の史郎さんは、右目マイナス18度の近視と5度の乱視、左目マイナス13度と5度の乱視、強度近視といわれるものです。
98年12月に、主に乱視の矯正を目的にしたRK手術と97年8月にPRK手術を受けました。98年8月にSP(強膜保護)手術を受けました。
 98年10月現在、右目が0.8左目が0.8に回復しました。

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 メガネザルからの解放
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 私がRK手術を受けたのは、94年3月、18才の時で、アメリカの大学へ入学が決まった時でした。
 小学4年生位から目が悪くなりはじめ、5年生になってメガネを掛けました。クラスの男子に「メガネザル」と、はやしたてられてとても悔しい思いをしたのは、忘れません。
 高校に入ってからは、コンタクトレンズをしましたが、レンズを洗っているときに流したり、破けたり、コンタクトレンズをつけるために時間がかかって遅刻したりする事もありました。
 私の両親が、10年以上前にRK手術を受けて、2人ともメガネなしの生活をしていましたので、私も早く、手術を受けたいと思っていました。

 近視と乱視があるので、RK手術に決まりました。先生から「若いから近視が進行するかもしれない」と言われました。
 大学の生活は、1日中細かい文字の辞書を読んだり、コンピューターの画面を見たり、目を酷使する毎日でした。その為か、特に右日の視力が悪くなり、PRKで再手術をすることになりましたが、早く卒業したくて、授業を沢山取っていた為に、なかなか休みが取れず、卒業のめどがついた97年の8月にPRKの手術を受けました。RKの時はズキズキという痛みでしたが、PRKは熱を持ったヒリヒリという痛みでした。
 現在右目が0.8、左目が0.1で左右の差があります。
 現在は大学を卒業して、広告関係の仕事をしています。近くを見たり、コンピューターを見たり細かい仕事が多いので、遠くを右目で、近くを左目で見ているような感じです。左右差で目が疲れるみたいですが、左目を治すと、近くの仕事が、やりにくいのではと、そのままにしています。日常生活で不自由はしていません。
 友達にも、手術を勧めているのですが、何となく恐いという、イメージがあるみたいです。小学生の頃に歯の矯正をしたことがありましたが、何年もかかって、なかなか治らなくて挫折してしまいました。それに比べれば日の手術は、短時間で、確実に、費用も安く素晴しいので、もっと普及してもよいのではないかと思います。

                       清水涼子



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 手術してよかった!
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 船釣り中に漁船に衝突され(相手船が自動操舵で見ていなかった)、同乗者は怪我をし、船は大破しまして新聞にも載ったのですが、私は衝突寸前に海に飛び込みどうやら無事でした(手術前だったら躊躇したと思います)。 もちろんサングラスなど身に付けているものはほとんど無くなりましが、海中でもはっきり見えることに驚き、非常に満足いたしました。図らずもPRK手術の威力を実感しました。やはり手術してよかったと思いますし、皆さんにも勧めたいと思います。
 

竹下雅雄(山口県)


友の会から
★今回は15周年の記念号として、会員以外の方にも配布いたしました。友の会ニュースは毎年1回、11月に発行しています。次回会報をご希望の方は、郵便振替で300円を振り込んでください。口座番号00170−1−1−1681 加入者名日本RK友の会
 

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