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RK・PRKニュース No14 2000年 1月

  タイガーウッズ視力矯正手術で好成績


ゴルフ界のスーパースター、タイガ−・ウッズが、今期世界ツアー最終戦、アメリカンエキスプレス選手権に11月7日優勝した。ウッズは今期の米ツアー8勝目となった。出場4試合連続優勝は、1953年のべン・ホーガン以来、46年振りの快挙となった。獲得賞金は660万ドル(7億円) と、史上初めて、600万ドルを突破した。
 この好成績は、9月にレーザーによる視力矯正手術を受けたことも影響しているようである。
「強風でも、目にゴミが入る心配をせずに、思いきってプレーできるようになった。」と本人も言っている。
 近視矯正手術を受けた著名なスポーツ選手としては、わが国でも競馬界の町田騎手(百瀬皓博士)や、野球界の中日ドラゴンズの仁村徹選手(奥山公道博士) が広く知られている。
 タイガ−・ウツズが近視手術を受けて大活躍していることは、友の会一同にとっても非常に喜ばしいことである。

  「買ってはいけない」やってはいけない

 友の会の会員でもあり、自らのRK手術の体験記「グッドバイメガネコンタクト」の著者、船瀬俊介氏の「買ってはいけない」が百万部を超えるベストセラーになつている。
 テレビのコマーシャルで、慣れ親しんだ商品の実名をあげて、添加物の問題点、人体への影響を書いている。いつまでも、カビの生えないパンに、不安を抱いた人は多かったと思う。
 広告収入に依存して、メーカーの顔色ばかりを観ているマスコミに対しての痛烈な批判でもある。
 何故か、名指された企業の反論が聞こえてこない。これだけ話題になつているのだから、きちんと情報を開示し、大丈夫な物、今後改善すべさことを、消費者に知らせるべきだと思う。
 「買ってはいけない」と見聞違える、装丁がソックリの 『「買ってはいけない」は買ってはいけない』『「買ってはいけない」は嘘である』 『本当に 「買ってはいけない」か!?』『「買ってはいけない」大論争』等、書店で一つのコーナーができてしまうほどの本が出版されている。
 『「買ってはいけない」は買ってはいけない』 の著者、日垣隆氏は、文芸春秋9月号「買ってはいけない」はインチキ本だという題名で書いているが、本の内容に関してより、著者のこれまでの言動に対して、こういう人達が書いているのだから、信憑性が低い、とイメージダウンに終始しているように思える。
 船瀬俊介氏に対して、角膜を直接メスで放射線状に傷つける(PK)「本文のまま」近視手術などに、彼は簡単にハマってしまうのである・・・という批判を書いている。船瀬氏は自らRK手術を体験することによってRK手術がメガネ、コンタクトよりも、安全で便利であるといっているだけで、アメリカのFAAが認証しているから良いといっている訳ではない。
 日垣氏は、自分ではクリームパンを買おうと思わないが、カビの生えないパンのおかげで遠隔地でもパン食べられるようになったし、外国の食料援助にも役だっていると、有害を認めながら、必要であるという矛盾した意見を展開している。
 腐らない添加物たっぷりのパンよりも、真空や冷凍パック食品に活路を求めるぐらいの消費者や、海外援助に対しての思いやりが欲しい。
 「買ってはいけない」の船瀬氏は、常に消費者の側に立って、発言する人なので、毎日バイ菌がいっぱいのコンタクトレンズよりも、近視手術の方が安全であると、体験を開示しただけなのである。
 船瀬氏の最新刊「買ってもいい」食卓編(光文社 カッパブックス)を参照いただければ船瀬氏が、ヤミクモに反対を唱える人物でないことは、一目瞭然である。


  船瀬氏の本で決心

 私がRK手術をしようと決心したのは船瀬俊介さんの 「グツバイメガネコンタクト」という本を読んだからです。この本は、RK手術についてとても詳しく書かれた本で、船瀬さん自身の体験談でもあります。ずっとメガネやコンタクトなしの生活に戻りたいと思っていてRK手術には興味がありました。でも手術費や仕事のことを考えると又本当に見えるようになるのかという不安もありなかなか主人にも話せず悩んだりしていました。でも、船瀬さんの本を読んで、私と同じ視力の船瀬さんが両眼とも1・5まで回復したのを知り自信がつきました。そして、手術を決心し奥山先生とお話ししてとても気持ちがリラックスできて、先生を信頼して手術をお願いしました。手術中は不安にならずに「絶対によくなるんだ!」と自分自身に言い聞かせ、奥山先生を信じました。結果翌日には0・6、一カ月後1・5になつていました。私は回復すると信じることがよかったんだと思います。目がよく見えるようになり日常の世界が変わりました。又、肩こりや頭痛もすっかり治り、自分自身が変わった気さえします。免許の更新の時、眼鏡使用なしにしてもらえて、とてもうれしかったです。奥山先生には本当に感謝しています。1年日の検診のとき思わず先生に握手を求めてました。先生の手は柔らかくとても暖かかったです。こ
の手に私の目は治していただいたんだなあと改めて感謝しました。もっと多くの人に、RK手術を知ってもらい、1人でも多くの人にメガネやコンタクトなしの生活の素晴しさを味わって欲しいと思います。
八王子市 室橋直美


  学会報告

  第22回目本眼科手術学会が、1月29日から31日まで東京国際フォーラムにおいて開かれた。
 参宮橋アイクリニック院長の奥山公道先生が、1月29日に「フイヨドロフ式PRKの5年経過」、1月30日に「放射状角膜切開術15年の経過」を発表した。以下、学会集講演の抄録を原文のまま紹介します。

学会報告(1)
ガウス曲線分布立体照射方式エキシマレーザーによる角膜屈折手術
奥山公道

目的
 エキシマレーザーの照射方式には面照射方式と、走査型が広く知られているが、その他にエキシマレーザーエネルギーをガウス曲線分布により三次元的蒸散方式のレーザー装置(プロファイル400)がある。1988年フィヨドロフとノーベル物理学者バラホーロフが共同開発し、1993年、露国保険省により、エキシマレーザーによる角膜治療(PTK)及び、角膜屈折矯正(PRK)機械の製造販売の許可を取得。この装置使用例の5年間の経過について、安全性を中心にその効果とともに検討する。

対象と方法
 対象は1993〜1998年の5年間の被術例より無作為に20名、40眼を選別。レーザー照射はPRKモードで行い、照射条件は、エネルギー密度175〜250mj/cm2可変、反復周波数10Hz,照射径6.7mm。1発の蒸散量を0.25マイクロンとした。スペキュラーマイクロスコピー、ケラトトポグラフィー等の検査を実施。

結果
 術前術後5年経過の角膜内皮細胞密度の変化は認められなかった。視力、屈折力の変化は術後1年以降の変動は認められなかった。術後1年以上で、矯正視力低下をもたらすヘイズの存在はなく、術後の矯正視力低下例もなかった。

結論
 プロファイル400使用のPRKによる屈折矯正達成率は、93%であった。5.5D以上の強度近視矯正例の平均到達7.8Dであった。術後5年の視力、屈折力は術後1年と比較して変化なく矯正効果は安定。内皮細胞密度の変化もなかった。長期的安全性が示唆される。今後さらに経過観察を要する。
 
学会報告(2)
  放射状角膜切開術後15年の経過

目的
 放射状角膜切開術(RK術)後15年の経過について、安全性を中心にその効果とともに検討する。

対象と方法
RK後15年を経過する元患者9人、17眼、内男性6人、12眼、女性3人、5眼、平均年齢44.5歳であった。スペキュラーマイクロスコピー、ケラトトポグラフイーを中心に検査した。対象全員は、フィヨドロフ式RK手術を、術前の説明を口頭で受けた後に被術していた。

結果
 術直後の感染合併1症例を除き、全例で角膜内皮細胞密度2000/cm2以上、六角細胞数頻度55%以上。細胞損失率は3.8%。平均矯正等価球面度数は5・8Dであった。

結論
RK後15年を経過した元患者9人、17眼の安全性と効果について現時点では保たれていると考えられた。術直後感染1症例を中心に、今後も経過観察を要する。
  私の手術体験


LTK手術を施して頂いて
東京医科歯科大学名誉教授
           一篠 尚
−LTK手術−
角膜に遠赤外線レーザーを照射することによって、遠視や乱視を矯正する手術である。1979年にMA・マインスターが考案し、1983年にフィヨドロフ研究所が完成させた。

プロフィール

 私は1998年1月に、奥山先生からまず左眼のLTK手術による老視矯正手術を行って頂きました。
 中国で終戦を迎えた私は、当時未だ10代でした。学業半ばであったために、学業を続ける目的で、戦後中国から日本に引き上げて参りました。父親が技術者でしたので中国に残留となり、何時になったら帰国できるのか全く予測がつ
かない状態でした。そんな状態でしたので、私は家族より先に、父親筋の親戚を頼って日本に帰国して参りました。

しかし親戚の家は戦火で消失し、全く行く先知れず。途方に暮れて、仕方なくあてもないまま、東京に出てきました。全
く知らない土地で、しかもまだ10代であった私にとりまして、生活の術もわからず、自然の流れにしたがって、落ち着いた先は上野でした。そこで浮浪児の生活に甘んずるより他ありませんでした。

 そんな私も、学業を続けたいという一心から、いろいろ紆余曲折を繰り返した後、何とか浮浪児の生活から脱却し、昭和22年に東京医科歯科大学予科に入学いたしました。自力で生活しておりました私は、休み中に学費と生活費を稼ぎ次の休みまで食い繋ぐ生活でした。

 昭和23年に、父親が帰国して参りましたが、父親は帰国後間もなく病で急死し、私は自活の生活が続きました。当時東京医科歯科大学は旧制大学であったために、予科が3年、学部が4年の7年生の大学でした。私は昭和25年の春に何とか予科3年間を終え、無事学部に進学することができました。
 春休みにしっかり稼いだつもりが、予定よりも学費がかさみ、学部に進学して6月末に、もう少しで夏休みになる直前、経済失調を来し、食うものもなくなり、ある朝学校の講堂にいく途中、大学の階段で急に動けなくなってしまいました。すぐ大学病院に運ばれ、入院するはめになりました。ご多分に漏れず、栄養失調で、点滴を受けたりして治療を受けておりましたが、まだ20歳そこそこの若い時代で、回復も早く、間もなく退院して再び学業を続けることができるようになりました。

 しかしそれから約1カ月ほど過ぎたある朝、洗面所でふと鏡を通して、我が姿の顔を見たとき、愕然としました。何と髭と頭の髪の生え際が、白髪になって真っ白になっていたのです。20歳の青年が今浦島です。恥ずかしくて髭は毎日一生懸命に剃って隠し、頭髪はしっかり刈り上げて誤魔化し、若者としては大変引け目を感じ、辛い日々を送っておりました。それからさらに1カ月ほど過ぎたころ、今度は目が悪くなってきていることに気がつきました。通学時に電車のなかで、新聞や本を読むのを日課にしておりましたが、ある朝車中で、本の字が読み辛くなっているのに気がついたのです。それまでは目が非常に良かった私ですが、車中前の人の背中が邪魔になって本の字が読みずらくなっていたのです。

 それで早速大学病院の眼科を訪れたが、栄養失調が原因で、老眼になっているとのこと。しばし眼科に通って治療を志しましたが、当時としては如何ともしようがなく、学生として本が読みずらいのでは困るので、病院の奨めで老眼用の近用メガネをかける羽目になってしまいました。栄養失調の後遺症として遠視性の乱視と老眼になっていたのです。

 以来、日常は裸眼で、本を読むときになると、ポケットから老眼鏡を取り出してかけることになりました。年を取った今でこそ老眼鏡使用は何ともないことですが、未だ20歳そこそこの若者にとっては、恥ずかしくて仕方がなかったものです。それ以来老眼鏡とのお付き合いが始まりました。それから半年か1年が過ぎたころ、幸いにして白髪は回復しましたけれども、眼のほうはとうとう回復することがありませんでした。

 大学を卒業後、私は解剖学を志すことになりました。人体の解剖で、神経等、木綿糸のような細かいものまで追跡する事になりますが、老眼鏡をかけて頑張ってきたものです。大学の眼鏡と近用の老眼鏡と2個の眼鏡を使い分けて
おりました。
 しかし年とともに老眼の度合も少しつつ進み、目も弱くなってくるために、50歳の半ばを過ぎたころから、老眼鏡をかけても細かな仕事が辛くなり、職業柄大変な苦労が始まりました。65歳を迎えて大学を定年で退職し、細かな仕事から解放されましたが、老眼はさらに進行して本を読んでいても、眼性疲労の程度も進み、大変目が疲れやすくなっていきました。
 さらに原稿作成時などワープロやパソコンを打つのにも苦労が多くなり、ほとほと困り果てておりました。

 そんな折、奥山先生にお会いした際、最近年波で老眼がひどくなり、苦労していることをお話し申し上げたところ、角膜の手術を行うことを奨めてくださいました。そんな勝れた方法があるのならと、藁でも掴む思いで早速先生に手術を
お願いすることと相成りました。
 そして、昨年1998年の1月末にLTK手術を行って頂きました。前以て眼の検査をしていただいた結果、左の眼のほうが、右目よりも視力が劣っておりましたので、先生のお取り計らいで、とりあえず、悪いほうの左目から手術していただくことになりました。

  手術後の経過

 私の目は、悪くなった原因が原因だけに、私のような普通とは異 なった状態の目でも手術によって、はたして良くなるものかどうかという事が自分なりに不安でした。
 角膜は小さなごみが目に入っても痛みを感ずる、われわれの体のなかで一番感覚が鋭い部分であるために、術後かなりの痛みを覚悟し、また70歳という年齢からも若干の心配をも伴っておりました。
 しかし術後2、3日は目を動かすとごろごろ異物感もありましたが、頂いた薬や目薬で思ったほどの苦痛もなく、異物感もすぐに消え、年齢から来る不安も消え失せていきました。

 それ以来、お陰様にて順調な経過を辿り、診察していただく間隔も、1カ月に1度となり、術後1年を過ぎた現在では2か月に1度程となつています。

友の会から
第14号は、2000年、1月号という日付に致します。99年はリストラ、臨界事故等、暗い話題が多く、出口の見えない年だったようです。気分を一新して2000年、21世紀に未来を託して行きたいと思います。

★3年以上経過した会員の方は、会報が有料となりますので、同封の振込用紙にて、郵便局でお振り込みください。

★皆様のお便りをお待ちしています。採用の場合は、記念品をお送りいたします。お店の宣伝でも構いません。(写真を忘れずに!)

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