レーシック・フラップレス近視手術友の会

TOP 近視矯正手術の種類 学会 新聞記事 書籍紹介 リンク プレゼント 問い合わせ

ブロードビームレーザーに
よるレーシック・フラップレス
とは?
近視手術友の会が
レーシック・フラップレスを
支持する6つの理由
各屈折矯正手術の映像


最新情報



近視手術25周年記念パーティ


対談
「近視手術25年を
迎えて」




ニュース最新号
2011年 第24号




ニュース
バックナンバー
2010年 第23号〜




近視矯正手術
Q&A


RK・PRK newsvol.19 2005年8月
フィヨドロフ研究所との共同研究の発表
最近友の会会員によく尋ねられます。
「レーザーによる近視手術が様々にあるようですが、どれが安全でどういう違いがあるのですか?」大きな違いは手術に使用されるエキシマレーザーにあります。近視治療は角膜をレーザーにより蒸発させたり、削ったりして平らにして光を曲げる性質を弱くするのです。

 レーザーには太いビームと細いビームがあります。細いビームは力不足を補うためにレーザーを照射する前に角膜の上皮をこすり落とすPRKや、カンナ掛けをしてフタを作るレーシック、イントラレーシック、エピレーシックがあります。

 太いビームはただ照射して蒸発させます。レーシックとNEWPRKの長期的効果を比較した研究が最近次々と発表されていますが、両者共に遜色ありません。どちらも術後の角膜再成の個体差により5%前後が再手術(微調整)となっています。

 では安全性はどうでしょうか?NEWPRKが最も安全と私自身は考えています。
@ 角膜表面に術中一切触れない。照射するエキシマレーザーには殺菌作用もあり、感染する可能性が皆無です。

A 眼球を低陰圧で固定するので、偏心照射が最小限にとどめられます。

B 以前、PRKで問題となった照射後の角膜混濁(ヘイズ)がほとんど見られなくなりました。レーザーエネルギー分布の改良、術後冷罨法等、及びプロテクトコンタクトの装着により、上皮再生が速やかにスムーズになりました。レーシックの場合のフタの代用をプロテクトコンタクトがつとめます。

C PRK後の痛みをプロテクトコンタクトレンズで軽くできるようになりました。その原理は皮膚科の傷の湿潤療法に通じます。
 湿潤療法は消毒薬ではなく、水道水による洗浄と異物の除去を行った後にガーゼではなく、ハイドロコロイド材による薄い膜で傷を被って治します。痛まずに傷が早くきれいに治ります。

Dリカバリータイムも半減しました。プロテクトコンタクトにより、手術当日から日常生活ができます。

 一方、細いスキャンビームは不正乱視の矯正を除いて、フタを作らなくなっているレーシックと同様の運命を迎えるのではないかと思っています。いずれにしても20年前に我国で近視手術として危ないと言われていた、メスによるRKを始めた私が、現在最も安全なNEWPRKを実施し、逆に大多数の先生方が、私としては危ないと思われるLASIKを実施している現状は大きな歴史の皮肉でしょうか?

 歴史と言えば、2005年6月1日〜4日に第8回全ロシア眼科学会がモスクワ市の国会議事堂内にある大・小のホールで開催され、出席しました。

「NEWPRKをウエーブフロントで評価する」という演題で、フィヨドロフ研究所との共同研究の発表をしてきました。その内容は[NEWPRK後、defocusとspherical aberationと言われる高次収差が各々増加するが、同時に両方が適当な配分で存在することにより、視力向上、ストレールレイショの改善に帰結する。ストレールレイショとは、星を見たときにメガネをかけたり、外したりして、星の明るさが変化する示標でwave frontが網膜へ向けて収束しているか否かを示している。NEWPRKでは、93%が目標の矯正度を1回で達成が可能である。]

 パネルディスカッションでは「レーシック生みの父」パリカリス博士が、エピレーシックの講演をしました。レーシックのフタ作りによる様々な合併症が問題となっている今、マイクロケラトームをエピケラトームに改良し、エピケラトームのプロモーションをロシア―日本―中国で実施しているのは、伝道師的な使命感によるものかもしれません。

「エピでフタを作っても、ボーマン膜を削ってしまうならPRKと大差ないのでは?」との質問に、クレタ大学総長の穏やかなお顔に少し陰が落ちたようでした。
 6月4日、AM10:00成田着のアエロフロート機を降りた途端、飛行場の長い廊下を年配の男女が手と手を取り合って軽やかにスキップして走っていくではありませんか。男性は007のショーンコネリーを縦に縮めたような彫りの探さ。女性は40才代でべリーダンスが似合いそうな美人。モスクワ―東京の10時間フライトで足を伸ばしたかったのだなあと妙に納得したのですが、とても明るい!ひょっとしてギリシャ人?
 そう言えば、現在のフィヨドロフ研究所のタフチジ所長はギリシャ人で、パリカリス博士とモスクワの学会場壇上で何やらヒソヒソと楽しそうにお話していた姿が脳裏にフラッシュバックしました。ギリシャ語でお話していたのに相違なし。

 近付いて改めて自己紹介すると、タフチジ博士より情報が入っていたのか、私のことを知っておられる様子。「お出迎えはありますか?」との愚問を念のため。今夕は坪田先生のパリカリス先生を囲むパーティのご案内をいただいていたので、坪田先生の手配にぬかりはあるまいと思いつつ。逆に奥様より「車のお迎えがあるので、よろしければご一緒にどうぞ」との御親切なご返事。「成田に車を置いていますので」と恐縮する有様でした。

NEWPRK手術体験談

 この度、御礼と、私の体験等について述べさせて頂きます。円谷さん

 さて私事、小学生の時より近視となり、一時は回復したものの、中学からさらに度が進行し、コンプレックスを感じながら、不治の病と生涯伴に生活しなければならないと思いつつも、回復できることを悲願としてまいりました。そして今まで眼科医にて目薬を処方してもらいながら、関係するあらゆる書物から情報を得、目の運動やヨガの体操、器具の利用から断食まで行い、そして5〜6年ほど前に手術による方法を知りました。それからは幾度と情報を得る為に書籍の購入や、医療機関への問い合わせを何度も行い、自分で勉強しながら、最も優れた治療法の模索をしていました。ある日半ば偶然に奥山先生の書物「30秒で近視が治る」に出逢い、これが最も安全・確実な手術であると、角膜形状を全く新たに再生し、作り替える手法のため確信しました。

 その後、何の迷いも無く検査の予約を取り、案内のお返事や、文書を頂戴し、手術をして頂きました。
 私の場合近視が強かった為、左右2回ずつ手術を行いましたが、何も不安は無く、むしろ次第にそれが楽しくさえありました。痛みはありましたが、希望のある痛みは苦痛になりませんでした。また、緩やかに回復する視力は、毎日が楽しみでもありました。

 今では何の煩わしさも無く、朝早い仕事でも気持ち良く過ごしております。運転免許も条件の「眼鏡等使用」を外すことができました。近視の日々はうそのようになりましたが、これは人生において、大きな影響があるように考えます。願わくは視力を回復する方が今後益々増えることを、情報の普及を含め望む次第です。本当にありがとうございました。
敬具

術前SE(近視・乱視度) 術後SE 術前視力 術後視力
右眼 -7.00D -1.50D 0.01 0.8
左眼 -9.13D -2.25D 0.01 0.7


近視手術をする前とした後  大学生 吉田みのり

 参宮橋アイクリニックで両眼を近視手術してから早8ケ月が過ぎました。以前は、視力が悪く生活をする上で不便さを感じることが多々ありました。けれども今では、それが嘘のように日々快適に過ごしています。

 私が近視手術をしたのは、就職活動も終え、時間を持て余していた大学4年生の10月下旬です。
 高校、大学と進む中、以前まで常に1.0以上あった視力が徐々に低下してきていることを健康診断時に気づかされました。

一時期はコンタクト装用も考えましたが、「コンタクトが合わなくて痛い」「コンタクトしていると眼が乾く」など私の周りでコンタクトをしている友人たちが口癖のようにいっていたのをよく耳にしていたため、自然とコンタクトには魅力を感じませんでした。そのため常に教授に近い、一番前の席に座らなければ黒板が見えないというところまでに視力が下がってしまいました。そんな時に近視手術の存在を知り、参宮橋アイクリニックに資料請求をして目を通してみました。正直本当に視力が回復するのかなどの不安が先立ち、懸念していましたが、初診検査に行って、病院の雰囲気、先生の話を聞いてから決めようと思い、足を運びました。初診検査では、先生に不安なことや手術方法など詳しく質問したところ丁寧に答えて下さり、奥山先生にお願いしたいと思い近視手術を決心しました。

 手術をしてからすぐ私は、卒業旅行を控えていました。学生最後の旅行を楽しむためには、綺麗な景色を裸眼で見て楽しみたいと思ったこともあって卒業旅行前に手術をしました。

 実際、旅行中は、何度も自分の眼に助けられました。遠くの景色が見渡せるほど視界が広がったので、この時初めて自分の視力が回復したということを実感した瞬間でした。また、旅行後の学生生活ではもっと変化が起こりました。今まで、遠くから友人が手をふっても友人の顔が識別できなかったり、通り過ぎたりすることが多々ありました。けれども手術前ではぼやけていた位置からも友人を自分から探しだすことができるようになり、また黒板が一番後ろの席からも見えるようになりました。

 今も仕事をする中で、無意識ですが視力が回復したことで多くの面で助けられています。
みなさんもきっと手術をして後悔しないと思いますのでお勧めします。

術前SE(近視・乱視度) 術後SE 術前視力 術後視力
右眼 -1.62D ±0.0D 0.1 1.5
左眼 -1.50D +0.5D 0.2 1.0


LTK(Laser Thermal Keratoplasty 遠視矯正・老眼軽減)手術について
大阪 鈴木アイクリニック 院長 鈴木聡子


近年、近視屈折矯正手術の普及により多くの人々が眼鏡、コンタクトレンズを使わずに裸眼での生活が出来るようになってきました。それと同時に加齢とともに遠近を見る時に目の中で調節していた毛様体筋の働きが鈍くなり、レンズが固くなって遠近調整がうまく行かなくなるいわゆる“老眼”を訴える患者さんも多くいらっしゃいます。

参宮橋アイクリニックでは、遠視軽減・老眼対策手術として1981年、フィヨドロフ研究所で開発されたTKC(熱形成遠視矯正)手術を行ってまいりました。手術方法は角膜の周辺に赤外線による熱を加えて、角膜のコラーゲンを熱により収縮させます。そうすると角膜の周辺は縮み、中心は膨らんで角膜のカーブが鋭くなり、手許が見やすくなるというしくみでした。

それと並行してレーザーによる遠視矯正手術(LTK)も研究がすすめられていましたが、当院では2年ほど前より導入し、実績を挙げております。
手許はかなり見えるようになりますが、遠方の視力は若干低下(近視化するため)する場合がありますので手術後希望の際は、担当医とよくご相談ください。


遠視矯正・老眼軽減LTK手術を受けて   小林さん

僕はいま62才である。駅のそばに区民広報版があって「60才以上の老人の方は無料で参加できます」という何かの催しもののポスターをみて愕然とした。これはごく最近のことである。それまで年金をもらえるのは65才からだときいていたから、老人になるまでまだ3年あるやいと強がりをいっていたのだが。だとすると僕は老人の仲間入りをとっくにしていたわけである。

僕が老眼になりだしたのは40の坂を下りだしてからだ。僕は仕事柄殆ど一日中、パソコンのディスプレイとにらめっこしている毎日だが、文字フォントサイズ9にしたときの活字が眼鏡をかけても読みにくくなってきていた上に、外国語辞書は拡大鏡を使わなくてはどうにもならないのである。これでは仕事の能率も落ちるし、眼鏡の度をもっと強くしなければと思うようになった。

ロシアで発明された「近視矯正手術」というのがあるのはかなり前から知っていたが、老人には縁がないものと思いこんでいた。ところが近視矯正手術を日本に紹介した元祖である奥山公道医師から老眼の矯正もレーザーで出来ると聞いた。レーザーは光線だからメスより安全だろうと素人なりにそういう印象をもった。先生によるともう200人もの人がこの手術を受けているという。近視矯正の方は2万眼あまりの実蹟があることはテレビで紹介された番組で見たことがある。出演しているキャスター自らが矯正手術を受けて、なんと世界が明るくなったことかと感激して説明していた。そんな記憶があるので、老眼鏡をかけないで仕事ができたら、それだけで生き甲斐が何十倍にもなるだろうと期待に胸がふくらんだ。

参宮橋アイクリニックでまず検眼を受けた。そのとき奥山先生から70才すぎた人も矯正手術を受けましたと聞いて、仮にうまくいかなくて元々だ。自らやってみないことには、どのくらい効果があるか分からない。視力そのものが落ちているのだから、矯正手術を受けても、あまり過度の期待をしないことにしようと自分に言い聞かせて、わりと気楽に先生に「矯正手術」をお願いしたのである。
4月15日の5時ごろから手術ははじまった。僕にとっては生まれてはじめての「手術」であった。先ず奥山先生の検眼があって、「よく思い切って決心されましたね」といわれて、こちらの方が一瞬どぎまぎした。「決心するほどの手術ではない」と思いこんでいたからだ。先生から「手術はほんの7、8分で眼帯もかけないで、翌日から仕事できますよ」といわれていたせいもある。
インフォームドコンセントというのは、最近かなり−般に知られるようになったが、要するに医師が患者に対して、診断検査の結果に基づいて、どのような処置をするか、その結果どのような効果が期待されるかを説明し、しかしながら予期せざる障害のために失敗することがあるかも知れない。そのことを予め承知しておいて下さいという、いわば患者から同意をとりつけるわけである。お医者さんも神様ではないから、こんな筈ではないのだが・・・という不測の事態があり得るわけである。

そもそも「見える」ということは、第三者、即ちお医者さんが先端医療器具を使って客観的に測定可能なことであるのかどうか知らぬが、「見えにくい」「見えない」「かすんでいるが見える」「うすくみえる」というのはかなり感性とかその人の神経の細かさなどで判断が難しいことだろうと想像するのである。近視・遠視矯正というのは、素人考えであるが手術をする医者の立場からすると大変むずかしことだろうなと思うのである。

56才になったという昔の部下に十数年ぶりに再会した。彼は頭髪を以前から黒く染めているのは、髪の生え際が紫色になっているのでわかっていたが、相変わらず若々しい。彼はコンピュータシステムのコンサルタントとして活躍しているのだが、この業界では若い者から年輩は馬鹿にされるので、テニスをやっているのだという。なるほど健康そうに日焼けして若々しい。ところが、書類を見る段になるとその若々しさも馬脚をあらわす。目を細め、書類を50センチぐらい離して読むのである。「眼鏡をかけないでよく見えるね?」「いえ、どうしてもの時だけ眼鏡使うんですよ。カバンにもっていますし、プログラムをコーディングする時などは家で堂々と眼鏡をかけているんです。でも人前では抵抗あるんですよ。それに眼鏡に頼るとどんどん老眼がすすむというではないですか?」これは僕も経験してきたことだ。手術を受けて1週間ほどしてからこの友人に自分の住所録をとりだして「君、これ読めるか?」とテストしてみた。僕はだいたい小さい字を書くほうであるが、彼は「いやあ…。」といいながら例によって目を細めて見たり、遠ざけてみたりするのだけれど「だめですね。こんな小さな字は…。」そこで、僕は「君よりも目だけはだいぶいいようだよ」といってすらすら読むものだから彼はあっけにとられて「コンタクトレンズでもいれているのですか?」と驚異と疑いの眼差しで僕を見つめるのだ。
そこで、この秘密をご披露におよぶと、「そんなこと本当にあるんですか?」といって信じない。嘘じゃないよと、奥山先生が手術前に「インフォームドコンセント」というのもので、手術はこうしてやるのですと懇切に説明してくださったメモをみせてやった。「こりゃすごい。手術ってよほど痛みますか?全身麻酔でしょう。やはり怖いですね。失敗して片眼見えなくなったら僕は仕事できなくなってしまいますからネ。」と。「でも受けてみたい気もしますね。」という。

今日でちょうど手術してから15日が過ぎたのであるが、両眼では残念ながらパソコンのディスプレイの活字は読みにくい。手術をしていない左眼が見にくいからである。そのため弱い度のレンズを左だけに入れた眼鏡をかけると、ディスプレイだけでなく、ちょっとした単行本などは難なく読める。

赤ん坊の目はきれいだ。大人になると目つきの悪い人が沢山いる。この人達だって赤ん坊の時もあったのである。恋をしている女性の目はなんと美しいことか。「目は口ほどにものをいう」とはほんとうである。

さようならコンタクト
   2004.12.3  海老原 智子 さん

 私は、約20年間もコンタクトレンズを使用していました。もう体の一部という感じで、恐ろしいことに、コンタクトレンズなしでは生きていけないというほどになっていました。

 海、プールはもちろんのこと、お風呂に入る時もはずせません。プールに行っても子どもがふざけて水をかけると「コンタクトレンズが取れたらどうするの!」と激怒し、水の滑り台などもってのほかで、とても楽しいという気持ちになれませんでした。そして、とうとう子供とはプールも一緒に行かなくなってしまいました。コンタクトレンズ無しでは1人で外も歩けませんし、お化粧も自分の顔が見えないので出来ません。ある時、友達と間違えて車の標識に手を振ってしまい、大爆笑された事もありました。
それより何より一番恐ろしいことは、もし私が病気や事故で倒れてしまい、何日か意識が戻らなかったら何日もコンタクトレンズを付けたままということになります。そんな事をしたら失明してしまうかもしれません。その為、子供には何度も「ママがもし倒れたらコンタクトレンズを付けていますからはずして下さいと病院の人に絶対言ってね!」と、しつこい位言い聞かせていました。子供は、もううんざりという感じでした。

 3年位前に友達がPRK手術を受けて、とても良かったと聞いていましたが、怖くてなかなか手術を受ける勇気がありませんでした。当時私は、右日0.04、左目0.03で乱視もかなりひどく、このままでいいのだろうか?コンタクトレンズの手入れも面倒で2年おきに買いかえるお金もバカにならないし、20年もコンタクトレンズを使用していて目に悪くないだろうか?でも、「病気でも無いのにわざわざ高いお金を出して、もし手術に失敗したらどうするの?自分も悲しいけど家族にも迷惑をかけてしまう‥‥。」と、いつもなら何も考えないで行動する私ですが、さすがにこの件はあれこれ悩み続けました。
 
やっと手術する決心がつき、予約をしてから病院に行きました。まず、誰にでもわかるように詳しく手術の説明をしていただき、どんなくだらない質問にもいやな顔ひとつせず、ニコニコしながら丁寧に答えて下さいました。友達には、「参宮橋アイクリニックに奥山先生という日本で初めてこの手術をされたとても立派で有名な先生がいらっしゃるのよ。先生にお願いすれば大丈夫よ。」と言われていました。私は、「そんな有名な先生ならきっと気難しくて怖い先生だろうなあ」と勝手に失礼な想像をしていたのですが、あまりにも癒し系でやさしい先生なのでびっくりしてしまいました。後日、手術前検査をしました。その検査も、丁寧にこの手術が出来る眼なのかなど調べていただき、とても安心出来るものでした。

 しかし、手術当日は5〜6人いる中で私が一番目だったせいかドキドキしてしまい、本当に1人で電車に乗って家に帰れるだろうか?と気弱になってしまいました(1時間15分位かかる)。手術室に入る前に、看護婦さんに目薬を2回さしていただきました。「これでもう麻酔は効いていますよ。」と言われ、「え−!こんなので麻酔効いているの?大丈夫?」と心配になりましたが、手術中は全く痛みがありませんでした。奥山先生に、「赤い丸の光を見ていてね。」と言われ私は1分間位横になって見ていただけでした。手術はあっという間に終わり、えっ!本当にこれで20年間見えなかったのが見えるようになるの?と不思議な気持ちでした。その上奥山先生に、「よく頑張ったね。えらい、えらい」とニコニコ顔で褒めていただき、「この歳になってこんな事で褒められるなんて幼稚園児じゃあるまいし‥‥」。と、思わずふきだしてしまいそうでした。こんな調子で、とてもリラックスできて良かったと思いました。「な−んだ、大丈夫じゃない。」と上機嫌で駅まで歩いて行きましたが、駅に着いた頃からもう痛み出してしまいました。痛み止めの目薬をいただいていたので電車に乗る前に1回さしましたが、新宿駅に着いたらもう痛くて、痛くて‥‥。一人で来たことをとても後悔しました。でも、たった1滴で劇的に痛みは消えるので大変助かりました。この目薬を落としたりしないよう、手に握り締めお守りのようにして持ち帰りました。

 手術当日は、痛くて夜中に何度も目が覚めてしまい、涙もポロポロで大変でした。翌日も痛みは治まらず、とても家事などする気もおきませんでした。でも、痛み止めの目薬をさすと一瞬で痛みは消えるのでその間大急ぎで動きまわりました。翌日の検査はとても1人では通院する元気も無く、主人に病院まで送り迎えしてもらいました。「頻繁に痛み止めを使うと治りが遅くなるかも」と先生に言われていたのですが無理を言って2本痛み止めの目薬を出していただきました(本来は1本)。でも、1本使わないうちに痛みは無くなりました。今は術後の痛みが軽くなるコンタクトがあるようです。

 3日目でかなり良くなり、とても明るくて遠くまで見えていたので感激してしまいました。その頃から早く右眼も手術したいなあと、待ち遠しい程でした。左眼の視力は1週間で0.03→1・2になっていましたので、予定通り1週間後に右眼の手術をしました。しかし、右眼は1ケ月近くなっても0.04→0.3までしかならず、心配でたまりませんでした。でも奥山先生が何故そうなのかわかりやすく説明してくださり「大丈夫!最終的には逆に右眼の方が良く見えるようになるからね。」とおっしゃって下さったので信じ
て待っていました。
 それから奥山先生のおっしゃった通り、急に右眼の視力が上がり、1ケ月を過ぎたあたりから0・8位になり、6ケ月後には両眼共なんと1.5になりました。怖い位良く見えてうれしくてたまりませんでした。10ケ月後には右眼1.2、左眼1.0になりましたが、遠くが良く見えて、新聞もとても見やすいベストの状態です。手術前に「将来老眼になった時の事も考えて視力は0.8〜1.0位になるように手術しましょう。」と言われていたので良い感じに近づいていると思います。術後何週間は太陽がやけに眩しく感じたり、夜になると見にくくなったりしましたが、そんなに不自由はしませんでした。

 今は手術をして本当に良かったと思っています。手術したいと相談した時、何の文句も言わず快諾してくれ、協力してくれた主人と子どもに感謝、感謝です。ありがとうございました。


『CA(キャビン・アテンダント)は幼い頃からの夢でした。絶対に叶えると心に決めていました。』
Y・H さん

 しかし、私の視力は0.03、0.05と驚くほどの悪さ。これでは書類の審査でおちてしまう・・・。
小さい頃から見続けてきた夢。「試験を受ける前までに少しでも自分の不安材料を取り除く努力をしよう。」と思い、奥山先生にmailをしました。

検査、手術の説明は無事終了し、手術中は痛みも無く、あっという間に終わりましたが、2,3日は痛みが続きました。

このまま目が見えなくなったら・・・と不安でしたが、1週間経過した頃からぼんやりと文字が見え、約10日後には、朝、目が覚めると天井がはっきりと見え、夢かと思ったときのことを今でも鮮明に覚えています。
それから徐々に遠くの物まではっきりと見えるようになりました。

面接試験には裸眼で面接官の方の前で、思いきり笑顔で自分を表現することが出来ました。その甲斐あって、合格通知を手に入れました!

今では、長期ステイに行くときにかさばるコンタクト用品を持ち歩く事もなくなりました。機内ではコンタクトレンズをしていなくても乾燥で目が乾くものです。

今、改めて思うのは、就職前の自由な時間の取れる大学時代に手術をしておいてよかった事です。コンタクトレンズの無い生活は本当に快適です。

アイクリニックの先生方をはじめ、スタッフの皆様、本当にありがとうございました。これからも目を大事にします!!
レーシック、レーシック・フラップレス等近視矯正手術の最新情報をお届けする近視手術友の会のホームページ
体 験 談

三田村邦彦さん
手術をうけて→

水道橋博士
20年前にRK→


藤田耕司さん
南極探検隊→


水口憲一さん
コンタクトが→


吉田みのりさん
近視手術を→


畠山多恵さん
高校生から→

その他の体験談