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RKニュース 昭和63年2月号


拝啓
 会員の皆様には、益々ご健勝のこととお喜び申し上げます。
さてRKニュース第2号をお届けいたします。
今号はRK発祥の地、ソビエトのモスクワ眼科顕微手術研究所の近況をお伝え致します。


「ソビエト科学技術協同体」
 ぺレストロイカ路線に基き、基礎科学技術を臨床医学に応用することで多くの患者さんの健康をを回復させ、それによって人々の幸福を実現する目的で作られた組織で、眼科ではフョードロフ研究所が最先端眼科医療の実現の為に指定され、フョードロフ博士が総裁に就任した。

 フョードロフ研究所は眼内レンズを作成したり、特殊な技術によってダイヤモンドメスを研磨する独自の工場(従業員80人)等も持っている。

 全ソ漣に現在12のモスクワマイクロサージェリー眼科を母体としたブランチ病院−ベルトコンペア式手術室を建設中で、既に昨年はレニングラード、トリビシ(グルジア共和国)、チェホクサ―ル市、クラスノダ―ル市にRK手術病院が開院された。5年以内には日本のおとなり沿海洲ハバロフスク市にRK専門病院が開院される予定となっている。

●フョードロフ博士の伝記が刊行
 昨年60才を迎え、国民栄誉賞を授与されたRKの創始者、フョードロフ博士の半生を描いた、「視力回復」という伝記の日本語版が新時代社より出版の運びとなりました。
 この伝記は、朝日新聞の文化欄において既に書評が紹介されておりますが、フョードロフ博士の業績と、その人となりが克明に記されております。著者は、元ソ連の週刊誌「アガニョ―ク(ともしび)」の人気記者、セルゲー・ブラーソフ氏で、翻訳監修は、参宮橋アイクリニックの奥山公道先生です。
 

『空飛ぶ病院』
 去る、昭和62年9月に、モスクワにおいて眼科顕微手術を主とした国際学術臨床セミナーが開かれ、アメリカ、イギリス、ドイツ、日本、ベルギー、その他の国の眼科医が参加した。60才を迎え、社会主義労働英雄の称号を授与されたソ連のフョードロフ博士も参加され、インタビューで所信を述べられている。
 その中で博士は、来年(昭和63年夏ごろには、ソ連において緊急の高度な処置及び手術の施せる「空飛ぶ病院」が実現するであろうと語っている。
これによると「空飛ぶ病院」には100人の収容能力があり、更に機内、機外において数100人の人達が機内の手術の進行状況を見ることができるというのである。

「空飛ぶ病院」は他に、既に「オルビス」と呼ばれ、国際医師団によって運営されているものもあるが(今回「オルビス」はモスクワのシェルメチェボ空港に寄港し、実際に手術も行った)、フョードロフ博士の考案中のものは、規模的にもそれを上回るものとなる。

 更にフョ―ドロフ博士は、博士の夢がこの「空飛ぶ病院」に乗り、世界中の患者の治療のみにとどまらず、広く眼科の技術を普及させることにあり、これが実現すれば眼科領域だけではなく、他の領域においても「空飛ぶ病院」を見るのは夢ではなくなるかもしれないと語っている。
 (今日のソ連邦  1987、No.22より)


 フョードロフ教授「歓迎夕食会」を計画中
 来る7月1日より3日まで、名古屋パレスホテルにおいて「IOL・RK学会」が開催されます。
 アメリカその他の国から20〜30人位の専門医の先生達が出席されます。ソ連からはフョードロフ先生とイゴロパ先生が出席の為来日される予定です。
 日本RK友の会といたしましては、一昨年同様、フョ―ドロフ先生のご都合がよろしければ、学会前後の日程で東京もしくは名古屋において「歓迎夕食会」を計画中です。
 会員の皆様には、具体的になりましたら改めてご連絡致す予定です。(日本RK友の会事務局)



[RKミニニュース]
・ご存知ですか?
日本国内でフョ―ドロフ式RKを受けられた方々は、北は北海道、南は沖縄に至る1都1道2府41県に及びます。ちなみにまだRK術者を出していない県は島根県と、愛媛県の2県となります。


★ ★ 会員たより ★ ★ 
「私が仕事を始めたわけ」    八王子市 松浦恵理子

 その記事が私の目に飛び込んできたのは、1年以上も前の混雑した銀行の中だった。「わずか20分、30万円の手術で近視は完全に治る!」(サンデー毎日)というような記事である。

 角膜にちょっとメスを入れて屈折率を変えれば、近視の矯正が出来るというのである。
 私の視力は両目とも0.03-0.05というかなりひどい近視で、テーブルに向かい合って座っても相手の顔がよく見えない。おまけにコンタクトも長時間装着が出来ず、眼鏡も春秋2回のアレルギー性鼻炎シーズンには湿疹ができて使えない。思い起こせば近視が進み出した15歳の頃から118年間にもわたって、私は大半の時間を焦点の合わない眼でぼんやり過ごしてきたのだ。まさに私の青春時代は、モヤのかかったような視界の中で送られてしまった。何度眼さえよかったらと思ったことか。私の心は決まった。

 昭和60年12月9日、左目手術。そして翌日先生がガーゼをとったその瞬間、私は思わず声をあげそうになってしまった。ピタリと焦点の合った視界。見える、見える、世界中のものがみんなはっきり見える。あのいまいましいコンタクトをしないでも、うっとおしい眼鏡をかけなくとも、自分の眼で何もかもがよく見えるんだョ! 私はまだ痛みが残っている眼で感極まって泣いてしまった。
 翌61年1月18日、右目手術。右は左よりももっと経過が良かった。現在左0.7、右1.5である。

 さて願いが叶った以上、もし眼さえよかったら「・・・できるのにと思っていた・・・」の部分を次々とやっていこうと思う。その手始めが仕事である。それもせっかくやるならなるべく沢山の人に会える仕事がしたい。今まで眼が悪いが故に、つい人に話し掛けるのもおっくうになってしまって、それが故に人間関係で損していた分を取り返したい。

 私は今、日本生命のリープをしている。指定された担当企業へ出向いて保険を売るのがその内容だが、セールスはそっちのけで、とにかく色んな人達に出会えるのが楽しくてたまらない。こうやって私は、失ってしまった輝いていた筈だった青春時代を、ほんの少しでもいいから取り戻そうと貪欲になっている。
 初期の目的が果たせたら、また次の「・・・・」の部分を埋めるために何かを探すことになるだろう。

(「あんふぁんて」 1986年9月号より)



[RKミニニュース]
・ご存知ですか?
日本国内でRK手術を受けられた方々の年齢分布は20代が最も多く、以下30代、40代、10代、50代の順と続きます。
体 験 談

三田村邦彦さん
手術をうけて→

水道橋博士
20年前にRK→


藤田耕司さん
南極探検隊→


水口憲一さん
コンタクトが→


吉田みのりさん
近視手術を→


畠山多恵さん
高校生から→

その他の体験談
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